食べる宝石!1粒1,000円のミガキイチゴを生産するGRA<農業経営の特徴>
農園百貨編集部です。
当メディアは「特徴のある農業経営をする農家」のポータルサイトです。
今回は、IT技術を駆使し、一粒1,000円のブランドイチゴ「ミガキイチゴを生産する、栃木県の「農業生産法人 株式会社GRA(ジーアールエー)をご紹介します。
- 食べる宝石!一粒1,000円のミガキイチゴとは?
- ミガキイチゴの仕掛け人「岩佐大輝氏」
- テクノロジー×熟練職人で誕生した最高級イチゴ
- インドでICTを活用したイチゴの試験栽培
- ガイアの夜明けでも取り上げられた就農支援システム
食べる宝石!一粒1,000円のミガキイチゴとは?
ミガキイチゴは、「食べる宝石」をコンセプトとした、複数品種の上質なイチゴの統一ブランドです。農業生産法人 株式会社GRAが宮城県山元町で栽培をしています。
品種だけではなく、産地・製法・技術による青果の違いをブランド化しました。職人の技とITを融合した最先端施設園芸により、高品質なイチゴの安定供給を実現。パッケージのみならず、産地から製法、流通まで一貫したブランド管理を行っています。
2013年度はグッドデザイン賞を受賞しています。
ミガキイチゴを使ったスパークリングワインも展開されています。
ミガキイチゴを100%使用した純国産のスパークリングワイン
イチゴの芳醇な香りと、やや強めの炭酸によるさっぱりとした飲み口が特徴。無香料、無着色でイチゴ本来の香りとピンク色の泡を楽しめる商品。
ミガキイチゴを使用した缶入りのスパークリングワイン
イチゴならではの華やかな香りと味わいを楽しめるワインです。
ネット展開もされており、Yahoo!ショッピング、楽天市場、Amazonで販売しています。
ミガキイチゴの仕掛け人「岩佐大輝氏」
ひと粒1,000円で売れる「ミガキイチゴ」を生み出したのは、岩佐大輝(いわさ ひろき)氏です。
岩佐 大輝 (いわさ ひろき)
1977年、宮城県山元町生まれ。
株式会社GRA代表取締役CEO。
大学在学中に起業し、現在日本およびインドで6つの法人のトップを務める。2011年の東日本大震災後には、大きな被害を受けた故郷山元町の復興を目的にGRAを設立。先端施設園芸を軸とした「地方の再創造」をライフワークとするようになる。イチゴビジネスに構造変革を起こし、ひと粒1000円の「ミガキイチゴ」を生み出す。
著書に『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)、『甘酸っぱい経営』(ブックウォーカー)がある。
ビジネスのルーツはバイトで貯めたパソコン
岩佐氏は株式会社GRAを創業した地である宮城県山元町の生まれです。仙台市から30kmほど離れた太平洋の沿岸部に位置する田舎町です。
幼い頃は、両親が子どもに物を買い与えない方針だったため、小遣いを自分で稼ごうと考えて試行錯誤していました。
新聞配達で毎月6,000円のバイト料をためて、中古のパソコンを購入しました。そこから、パソコンをつかってソフトウェアを自作するようになり、プログラミングの面白さにはまっていきました。
これがルーツにもなり、大学へ進学したときにはプログラマーとして活動し、起業をした会社で立ち上げたポータルサイトやメルマガで広告収入を得ていました。
その後は、創業した株式会社ズノウで、企業内システム・受託ソフトの開発やネットワーク構築を請け負っており、1・2年で年商数億円規模へと成長させています。
しかし、2006年に起こったライブドア事件後に、会社の成長が鈍化し、2008年のリーマンショックで、メイン顧客だった不動産会社が次々と倒産し、経営が苦しくなっていきます。
そこから、経営の見直しをするためにも、自己流でやってきた経営を学び直そうと考えて、グロービス大学院へ入学。MBAを取得を目指します。
東日本大震災を機に地元への貢献を考える
大学院で学んでいた2011年の3月に東日本大震災が発生します。地元の山元町を大きな揺れが直撃します。社員総出で、山元町の人たちが安否情報を自由に書き込める掲示板サイトを立ち上げて、ものすごい数のアクセスが殺到しました。
その後、幸いにもご両親と避難所で再開することができましたが、山元町では700名もの方々が命を失い、家や駅や線路もつなみで流されてしまいました。
さらに主要作物だったイチゴ畑とビニールハウスの95%は破壊されてしまいます。
町の惨状を目の当たりにして、「何とかしなければいけない」と思い、グロービスの仲間とボランティアチームを結成し、イチゴ栽培が再開できるように、地元の方々と畑の泥かき、がれき撤去をはじめます。
ボランティアをするなかで、イチゴ農家のほとんどが高齢者で跡継ぎ問題があり、震災前の状態に戻すだけでも足りないことがわかりました。
これまでは、ITビジネスのプロとして活動してきた経験を活かして、イチゴ農業を確立し、事業スキームを構築し、雇用を生み出す。そうすれば、山元町に活気が戻り、若い人もあつまってくるはずと考えます。
そこから、農業生産法人・株式会社GRAを創業します。
被災地で素人がゼロからはじめた農業への参入
肝心のイチゴ栽培にはど素人でした。ともに創業した橋本洋平氏との遠縁にあたるイチゴ栽培35年の大ベテラン、橋元忠嗣氏を何とか口説いて指導してもらえることになりました。そこから、品種を決めて栽培をスタート。
岩佐氏は、ゼロから農業に参入するにあたって、スタートの段階から、東北に社会的インパクトを残すことを狙いました。そこで、2011年末に農林水産省の「被災地の復興のための先端技術展開事業」のコンペに参加して、受託。工事費約2億5,000万円の最先端大規模園芸施設を誘致し、イチゴ農家だった祖父の土地に、建設します。
テクノロジー×熟練職人で誕生した最高級イチゴ
岩佐氏がつくった園芸施設には、約20の研究機関と企業があつまり、IT×農業をかけ合わせたさまざまな方法を試しつつ、イチゴの研究を進めています。
同時に、研究施設で得た青果を実践するため、自分たちの大型農場をもつことに。工事費は4億8,000万円。2億円以上を銀行から借りています。
データに基づくイチゴの生産システムを構築
研究の成果から、自社の農場でさまざまな生産方法を実践します。そのひとつが、ICTで制御する生産システムです。
イチゴは同じように赤く色づいても、甘いもの、酸味が強いなど果実によって異なります。それを見分けるには長年の経験が必要になりますが、これまでは経験が個人に属しており、他と共有されることはありませんでした。
岩佐氏はこの暗黙知を形式知へ転換し、誰もが同じ品質のイチゴを生産できるシステムを確立することでした。つまり、こまれで個人の感覚で判断していた環境条件を具体的な数値で表す生産システムを構築することです。
ハウス内の温度、湿度、Co2濃度、日照量、冠水量、施肥量、風向き、雨量に応じて天窓を開閉して痛風を管理する条件を数値化。データを蓄積していきました。そして、そのデータを活用してイチゴ栽培のすべてをICTで制御する生産システムを開発しました。
緻密なマーケティングと販路の開拓
そうして2012年にGRAははじめてイチゴを出荷しました。4つのイチゴの品種を消費者の嗜好や用途に応じて販売していきました。従来のように市場流通を介して薄利多売だった生産を改め、緻密なマーケティングに基づき、生産し、独自の販路で販売することで生産者の収入を安定させることが目的でした。
2012年冬には、「ミガキイチゴ」のブランドで1粒1,000円の高級イチゴを東京都内の有名百貨店で完売させました。糖度20と砂糖のように甘イチゴを生産システムの技術でつくりあげます。
ミガキイチゴのブランドネームは、味を磨くという意味から命名されています。
インドでICTを活用したイチゴの試験栽培
GRAは2012年から、JICAと協力してインドの貧困地域であるブネでICTを活用したイチゴの試験栽培をはじめています。貧困地域に女性の就労機会をつくるのが目的です。半年後の2013年3月11日、大震災と同じ日にインドで栽培したイチゴをインドへ初めて出荷しました。インドで栽培すると粒が小さく、酸味が強いといった課題がのこるが、イチゴ好きのインド人に好評で販売も好調です。
収益は2倍、コストは半減への挑戦
GRAは、「局所温度管理」「高設栽培」「密植移動栽培」などに取組み、従来の観光栽培にくらべて収益2倍、コスト半減の生産性向上にも挑んでいます。
ガイアの夜明けでも取り上げられた就農支援システム
2017年3月にテレビ東京系列「ガイアの夜明け」にて、GRAの新規就農支援システムが取り上げられています。
農業未経験の個人・法人の方でも、最短1年で独立できるノウハウを提供するプログラム。最先端の技術を活用しハウス建設からイチゴの全量買取まで、一気通貫でサポートされています。
農場見学だけでも行っているので、イチゴ農園に興味のある方は覗いてみることもオススメ。詳細は株式会社GRAのウェブサイトまで。
企業データ
社名:株式会社GRA
代表:岩佐大輝
所在地:宮城県亘理郡山元町山寺字桜堤47
創業:2011年7月1日